『薩摩斑目家』の歴史
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99四★鹿児島国際大学短期大学部名誉教授・三木靖氏インタビューが原本じゃありませんからね。写しが残っているだけです。原本は大事なものなのに、なぜ残っていないのか。焼けちゃったとか、紛失しちゃったということがないことはないけど。一方で、この種の文書は、後から意図的に作ることも多く、専門にそういうものを作る人がいました。写しというものには二種類あって、原本を作る時に同時に控えといった意味で写しが作られる。下書きやメモといったものもある。だけど、あの時代の鹿児島の文書について、一番の権威である五味(克夫・鹿児島大学名誉教授)さんや僕なんかは、その同時に作られた写しではなくて、どうも後世のものだと言っているわけです。書いてある言葉や文字も怪しいし︙︙。 ―実は最近、その五味先生が自宅の資料の山を整理していたところ、むかし誰かにもらった斑目家家系図の写真が出てきたそうです。驚くことに、その家系図では橘惟広の横に、小さい文字で「後改元長」と書いてあった。つまり、橘元長とは惟広が名前を改めたものだということです。三木 そうですか、「薩摩斑目家」の歴史にとっては大きな話ですね。改名というのは
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