『薩摩斑目家』の歴史
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103四★鹿児島国際大学短期大学部名誉教授・三木靖氏インタビューその出羽国に「斑目」という地名が見当たらない。そのことについて、どう評価していますか。研究者によっては、「だから、斑目四郎の出身地は出羽国ではない」「だから、橘元長は実在の人物ではない」と言う人もいますが。三木 ゆかりの地名が出身地の中に見つかっていないという、極めて異例なケースなんでしょうね。だけど、そういうことはありえるだろうと思います。鎌倉御家人で言えば、出身地というのは非常に大事な問題であり、身分と同じで、出身地を偽ることは極めて重大な犯罪になるんです。悪口(あっこう)といって、お家断絶の理由になります。そういうことを考えれば、出身地について、当時言われていたことが全く根拠がないとは到底思えない。だから、出羽国に「斑目」という地名があるはずというか、そんなにこだわる必要はないと思いますね。当時あったけど、歴史が移ろう中で消滅したということだって十分にありえるわけですから。 ―実は、その出羽国である秋田市内に、「班目沢」という地名がいまでもあることが分かりました。

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