『薩摩斑目家』の歴史
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104三木 そうですか。であるならば、そこが斑目四郎の出身地である可能性が、もちろん十分あります。出羽国に「斑目」という地名はないと言われ続けてきたことに、全く根拠がなかったということですね。その地名を大いに参考にして、当時の歴史の調査を新しく進めてほしいと思いますね。 ―さらに、秋田県や秋田市に問い合わせたところ、その周辺に以広と近しい関係にあった大江広元ゆかりの神社や館跡があったり、他にも「マンタラメ」という地名が付いている地域があることも分かりました。三木 当然の話として、「班目沢」という地名に大いに関係があると、僕には見えますね。全く偶然とは到底思えない。中世の時代で言うと、われわれは結果的に生き延びた人だけから史料を受け取っているわけで、それぞれの時代を生きた人たちの史料がいま全部残っているわけじゃない。今回、そんなふうに手掛かりが見つかったということは、ひょっとすると、その「班目沢」に、大きなものが埋まっている可能性があるんじゃないかと思いますよ。

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