『薩摩斑目家』の歴史
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112(ひしてべこ)」や「肥たんござむらい」と呼んで、蔑視するようになっていった。そんな出水麓に、斑目氏はいた。それが分かるのは、「軍役高帳」という、戸別の軍役に対応する石高を記録した一覧文書が、いまも残っているからである。慶長六年(1601年)作成の「1番」から慶応三年(1867年)作成の「88番」まで、ほぼ3年ごとに書き替えられ、そのうち30冊が現存している。ただし、古文書の一種であるため解読が容易ではなく、現在のところ出版にいたっているのは慶長十七年(1612年)の「2番」から「88番」*薩摩の北の守りとして「出水兵児」たちが陣取った「出水麓武家屋敷群」
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