『薩摩斑目家』の歴史
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142肱岡 鹿児島の給与制度では、武士の身分には禄高が付いているんですが、大きく二つに区分けされます。一つは禄高がある「高持」。もう一つは「一ヶ所」と言って、禄高がゼロの人。侍の屋敷というのは、どこでも同じですが、自分のものじゃない。いわば共産国家と同じで、支配者からあてがわれるものです。屋敷はあてがわれているが、禄高がないというのが「一ヶ所」です。まあ、とりあえずは、それほどに貧しかったということでしょうね。 ―もう一つ、享保七年(1722年)に斑目六郎が「無屋敷」という待遇になっている。肱岡 それは文字通り、屋敷がないということ。ないということは、どうすんのとなりますね。でも、大丈夫(笑)。だいたい、この「無屋敷」が付くのは、分家さんたち。というのは、分家と簡単に言うけど、新しく禄高があてがわれるわけでなく、家督は長男しか継げない。だから、まあ息子が何人もいると、あとは何をするかというと、出水の場合

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