『薩摩斑目家』の歴史
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148 ―それにしても、慶応三年(1867年)の斑目藤右ヱ門なんか、自分の高が1斗3升しかないのに︙︙(笑)。肱岡 まず、もともとは4斗9升あったと記してありますね。そして、内訳として、自分で開墾した「抱かかえち地」が1斗1升あったというふうに添え書きしている。つまり4斗9升の土地のうち、1斗1升は自分で開墾した土地ですよと。他にも説明書きとして、3斗2升を宇多なんとかさんへ貸したので、自分の元の数字から外れるんですね。4斗9升しかないんだけど、貸してくれと来たから、貸さざるをえなかったんでしょうな。 ―要するに、月給が1万円しかないのに、そこから9千円を他家に貸してしまうみたいな話ですよね?肱岡 そういうことです。で、まだありますよね。9合いくらを同じく宇多さんに、また貸している。さらに、2升2合を抱地から前田なにがしさんに貸している。だから、も
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