『薩摩斑目家』の歴史
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150実態はほとんど下男状態。長男に仕える下男状態になっているんです。農業をしたり、家の周りのことをしたり。そうすると、やっぱり武士の面目が立たない。ということもあって、一番いいのは何かと言うと、養子の口がかかることなんです。養子とはいえ、独立した存在として、一家の長としてやっていける。これが最高ですね。だいたい軍役高帳一冊あたり、10軒ぐらいの養子縁組が出てきます。 ―しかし、嫡男といっても、農業をして、副業をして。出水の郷士はたいへんですね。肱岡 暮らしは農民と変わらんわけですからね。ハハハハハハ。何が違うかというと、田んぼで刀を差していないのが農民で、刀を差しているのが侍なんですよ。ある人物が鹿児島に来て、「さすが鹿児島は武の国、百姓までが刀を差している」と。これ有名な話なんです。江戸時代に士農工商なんてことが言われましたが、鹿児島にはもともと士農工商なんてない。農と士しかないんです。じゃあ工はどうしたかというと、これは武士の副業なんです。私の先祖は屋根葺き大工だった。映画なんかに出てくる傘張り浪人、あんなの
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