『薩摩斑目家』の歴史
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152肱岡 それだけでは、なんとも言えません。地方自治の仕事として「所三役」というのがあって、いまで言う市長さんとかそのあたりですね。その次にくるのが周辺の八ヶ郷なんかを押さえる「物主」、上の中ぐらいの人たち。そして中の下ぐらいのところに、わずか2、3石から5石ぐらいの手当をもらえる「郡見廻」なんかの役職があります。「郡見廻」というのは、いわば農業委員みたいなものですね。農家の指導をするとかで、これは任期制ですので一定期間すると交代します。 ―この「郡見廻」の六郎さん。幕末の動乱期に郷三役として活躍した竹添弥八兵衛の日記(嘉永六年八月)に登場しています。日記の省略化した文章だから分かりにくいでしょうが、何が書いてあるのでしょうか?肱岡 殿様が参勤交代に行く途中に、薩摩での最後の休憩所となる茶屋や道路を建設しろと、竹添さんが命じられた。それで、組頭や六郎さん、竹木見廻や大工さんらと現地に行き、用事を済ませてから、六郎さんの家で焼酎を飲んだ、といったことが書いてありますね。それから翌日、隣の藩まで酒をとりに行って、呑ん方をした。名護の漁村で肴を買
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