『薩摩斑目家』の歴史
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154だし、それやこれやでなんとか回っていたんでしょうね。 ―それなりに暮らす郷士たちだけど、やはり城下士に比べると格段に貧しかった。肱岡 よく西郷さんや大久保さんが貧しい侍だったといわれます。そらあ城下士にしては貧しかったんでしょうが、ただ例えていうと、西郷さんたちはベンツの一番下のクラスの車に乗っていた。それに対して、出水の郷士たちは自転車に乗っていたと言えば、だいたい分かってもらえますよね。そのぐらいに貧しさのレベルが違う(笑)。 ―しかし、そんな貧しい地域から、日本最強の軍団「出水兵児」が誕生した。肱岡 平和な時代が続くにつれて、城下士はだんだんふやけてきましたけど、出水郷士は戦国時代がそのまま続いていた。鹿児島と出水の郷ごじゅう中教育の何が違うかというと、鹿児島の武士たちは論語だ何だとお勉強をしていたけど、出水の武士はそんなことせずに日々、武士のたしなみを磨くための集団合宿ですから。それが、いまで言うと小学校の5、
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