『薩摩斑目家』の歴史
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14☆「元長」とは「惟広」のことだった加えて、大きな変化があったのは、②の「橘元長」についてである。従来、「橘元長」をめぐっては、「この人物の名は、他の史料にいっさい出てこない。架空の人物ではないのか」という疑問の声があった。しかし今回の取材のさなか、その名前が他の史料の中で見つかったのだ。鎌倉幕府の正史である「吾妻鏡」に、問注所衆を務めた高官として繰り返し登場する橘惟広。この「薩摩斑目家」の先祖である惟広が、後に「元長」と改名したと添え書きしてある家系図が出てきたのだ。「斑目家文書」の最初に、まるで斑目家の由緒正しさをアピールするように置かれた「橘元長」の説得力が、ぐっと増してくることは間違いない。もう一つ、出水麓時代の斑目氏についても、意外なことが分かった。
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