『薩摩斑目家』の歴史
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162力曠さんが振り返るように、日仏は常人を超えた不思議な能力を持っていた。その高僧が、出会ったばかりの一人旅の少年を、誘拐でもするかのように高野山へ連れ去ったのも、日仏の類まれな資質を見抜いたがゆえのことなのだろう。出水の斑目家本家は代々、熱心な真言宗信徒であったという。その家風の長い歴史がいつしか、日仏の宗教家としての資質を鋭く磨き上げていたのかもしれない。 *日仏の夢の切り替えは早く、志の形成は徹底していた。高野山では、一心不乱に仏典を学び、修行研鑽に励み、長じては高野聖となって諸国を行脚した。こうして、日仏は真言宗大僧正へと上りつめていったが、一方で、海軍や島津家の関係者らと多く交流していたようだ。海軍大将であった斎藤実と親交を持ったほか、鹿児島県出身の海軍中将、山口九十郎らとも深い付き合いがあった。

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