『薩摩斑目家』の歴史
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163八★日仏と力曠日仏は、島津家の歴史に通じていたことから、山口中将を相手とする「忠久公関係霊覚問答書」という史料を残している。問うのが山口中将、答えるのが日仏。冒頭の問答だけを紹介すれば「問 忠久公幼児ノ御事蹟ヲ取調フルニ何カ材料ヲ秘蔵シ居ルモノナキヤ」「答 大概ノ記録ハ焼失又ハ散逸セリ然シ住吉、天王寺後白河法皇記録ノ中、道明寺、吉川ニモアリ」といったもの。「島津家文書」の一篇として現在、東京大学史料編纂所に所蔵されており、専門家によれば「霊感だけではここまで書けないほどに、細かに具体的なことに言及している。島津家の歴史をよく勉強した人だったのでしょう」という。日仏の海軍関係者との交流は、親戚関係にある一人の人*桜島を望む東郷平八郎像、彼も薩摩斑目家の縁戚となる渋谷一族だ。

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