『薩摩斑目家』の歴史
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175★斑目家関連年表鎌倉1211承元五年惟広、問註所衆に任命される1221承久三年承久の乱1238嘉禎四年橘広長、大膳亮に任ぜられる1247宝治元年広長・長高父子、三浦泰村事件に連座し自害する宝治合戦1248宝治二年渋谷5兄弟、関東から薩摩へ。渋谷一族の地頭支配が始まる1274文永十一年文永の役1281弘安四年このころ、渋谷一族の庶子泰基が斑目惟基の養子となる。弘安の役1288正応元年文書「斑目行蓮重松譲状案」1289正応二年文書「斑目聖蓮泰基譲状案」1307徳治二年文書「蓮性陳状案」1310延慶三年文書「関東引付衆結番交名注文案」1313正和二年文書「沙弥行誓請文案」1324正中元年文書「橘政泰着到状」。斑目政泰・政行の軍勢、京都に到着(北朝方)正中の変 後醍醐天皇の討幕計画漏れる南北朝1331元徳三年文書「沙弥行恵着到状」。政泰・政行の軍、再度上京1333元弘三年白河の斑目真義、結城宗広とともに戦う。鎌倉幕府滅亡
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