『薩摩斑目家』の歴史
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17弐★背景としての「祁答院」弐★背景としての「祁答院」時代は人によって作られ、人は時代によって作られる。「薩摩斑目家」の背景で、時代は次のように大きく動いていた。鎌倉幕府を開いた源頼朝が世を去り、北条氏の執権政治が始まる→後鳥羽上皇が鎌倉幕府に対し挙兵した「承久の乱」(1221年)→執権北条氏によって有力御家人の三浦氏が滅ぼされた「宝治合戦」(1247年)→モンゴル・高麗連合軍が来襲した「文永の役」(1274年)→第二次蒙古襲来の「弘安の役」(1281年)→後醍醐天皇による討幕計画が発覚した「正中の変」(1324年)→後醍醐天皇の二度目の討幕計画発覚、天皇が隠岐に流された「元弘の変」(1331年)→鎌倉幕府滅亡(1333年)→後醍醐天皇が親政を開始した「建武の新政」(1334年)→足利尊氏の挙兵(1335年)→大和国と山城国に朝廷が存在した「南北朝の対立」(1336年)→足利尊氏が室町幕府を開く(1338年)→「南北朝の合一」(1392年)→有力な守護大名同士が京都を中心に将軍家の跡目争いなどで戦った「応仁の乱」(1467年)→戦乱が地方に広が

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