『薩摩斑目家』の歴史
23/189
21弐★背景としての「祁答院」その結果として、「祁答院」の一分地頭職に就く。北薩の一角に広がる「祁答院」の所領はといえば、次のようなものであった。―宮之城は、その流れの中下流部分に位置している。―西海道の辺境の地である宮之城は、そのころ祈祷院と呼ばれていた。疫病などで死ぬ人も多かった。紫尾には空覚上人が建てた神興寺というお寺があって、そこでは業病や生活苦から逃れるため、信者が集まり祈祷が行われていたので、この地方を祈祷院と呼んでいたらしい。―祁答院(祈祷院)地方は年々歳々田んぼには、六月末頃から八月頃は緑の絨緞が敷か*春雨がそぼ降る中、往時の「祁答院」の歴史を湛える「虎居城」跡
元のページ