『薩摩斑目家』の歴史
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23弐★背景としての「祁答院」由である。常胤は代官として正道のものを派遣していると言っているが、この始末である。清遠の所行が事実ならば甚だ不都合なことである。早くこのような非道狼藉をやめさせよ≳」☆薩摩入りした渋谷五兄弟「承久の乱」が起きたのは、その幕府開闢からわずか30年後のことだ。時代は落ち着くことなく、さらに漂流する。「虎居城物語」がこう綴る。「承久の乱の結果、北条氏による執権政治が確立し、武士の荘園への侵略が激化したのである。いわゆる新補地頭の設置というやつである。この新補地頭は、頼朝の御家人ではなく、北条氏の御家人ともいえるものである。新補地頭には田畑十一町につき一町の免田(年貢負担のない土地)を与え、さらにこれまでの一反につき五升の兵糧米の徴収権も与えたから、これまでの本補地頭(新恩地頭)よりも優遇されたのである。」
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