『薩摩斑目家』の歴史
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24北条執権の最有力の御家人として、薩摩の地頭になったのが渋谷氏である。渋谷氏は、承久の乱そして宝治の乱で、北条氏に対抗する三浦一族や千葉一族の壊滅に大きな働きをした。北条時頼はその功績を賞で、千葉氏から没収した薩摩国の祁答院・入来院・東郷・高城・鶴田を領地とする、新補地頭の地位を与えたのである。この頃、渋谷氏に限らず、承久の乱、宝治の乱、文永の役、弘安の役などでの恩賞として、東国から鎮西(九州)へ地頭となって移住する御家人が相次いだ。いわゆる西遷御家人と呼ばれる武士たちである。瀬野精一郎・早稲田大学名誉教授による一覧表によれば、筑前国21氏、筑後国15氏、肥前国23氏、肥後国15氏、豊前国12氏、豊後国23氏、日向国11氏、大隅国3氏、薩摩国12氏、壱岐国1氏。なんと136氏もの御家人が一族郎党らとともに大挙移住してきたのである。(「新薩摩学~中世薩摩の雄 渋谷氏」)薩摩国の五地域に所領を得た渋谷氏の当主・光重は、長男重直に相模国渋谷庄を継がせる一方で、次男実重に薩摩国東郷、三男重保に薩摩国祁答院、四男重諸に薩摩国鶴田、五男定心に薩摩国入来院、六男重貞に薩摩国高城を、それぞれ分け与えた。それまで、領主
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