『薩摩斑目家』の歴史
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45参★祁答院の斑目家へのアピールであろう。しかし、「薩摩斑目家」にとってもどかしいことに、「橘元長」という人物は、その名がこれまで他の史料では一切見当たらなかった。このため、地頭をアピールする内容は虚偽ではないのかと疑念が持たれていたが、今回の取材で新事実が出てきたことは、すでに報告した。その詳細は後述するとして、まずは文書中の「橘姓斑目氏系図」において、「薩摩斑目家」の始祖の位置にある橘以広と子の惟広について見てみよう。以広は鎌倉幕府の政所衆、惟広は問註所衆を務めたと、系図の添え書きに記してある。分かりやすいように、若干オーバーに言えば、政所衆は内閣の大臣、問註所衆は最高裁の裁判官といったところか。いずれにしろ鎌倉幕府の高官であり、鎌倉時代の正史である「吾妻鏡」に二人とも繰り返し登場している。
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