『薩摩斑目家』の歴史
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48では、「当時の政局の流れ」を踏まえ、何か一般論として言えることはないか。(佐藤真人氏)「鎌倉幕府には、頼朝に家臣として認められた御家人がいます。いわゆる名族の三浦氏とか千葉氏とか、もちろん斑目氏もそうです。この御家人たちが最初は公職に就くんですが、やがて得宗家である北条氏の力が伸びて、御家人たちを排除する動きに出る。この時に北条側で動いたのが身内人と言われる人々です。宝治合戦や霜月騒動といったクーデターですね。そうした暗闘が長く続くため、役職に就いても、直ぐに辞めさせられる、あるいは自分で身の危険を感じて辞めてしまうパターンが多々見られます。それと並行して、御家人たちを内部事情ゆえに、とにかく一回役職に就け、辞めさせて、また次へといった形で、どんどん入れ替えるというのもあったみたいです。とにかく、今の平和な時代みたいに、高位の役職に就いたから安泰だとか、そんな悠長なことを思える時代ではない。就いたら就いたで、いつ殺されてもおかしくない、緊迫した状況に取り囲まれる。以広の謎の三カ月は、幕府の揺籃期の出来事であればなおさらのこと、そういう明日をも知れぬ状況だったのだと思います」
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