『薩摩斑目家』の歴史
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51参★祁答院の斑目家な『しきたり』の世界で生きてきた人達だけに、姓と言うものにこだわった。幕府の高官になっても斑目姓を名乗っていては、いかにも田舎者くさい。そこで源氏でも平家でも藤原でもなく、差し障りのない橘姓を名乗るよう、斑目氏に勧めたと思われる」と、子孫らしく大胆な推測をしている。当方は、研究者でも子孫でもないが、「斑目」という極めて珍しい姓の武将同士であれば、一世紀以上の時が間にあるとはいえ、まずは家系的につながっていると考える方が自然であるように思う。☆「秋田に必ずある。父親がそう言っていた」さて、斑目家文書の冒頭に位置する「出羽国斑目地頭職補任状案」について書くことにする。斑目家は出羽国の地頭をしていたと主張しながらも、虚偽ではないかと疑われているものである。

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