『薩摩斑目家』の歴史
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52疑われている理由は、先述したように、地頭に補任されたという「橘元長」について、他の史料で一切名前が出てこないからだ。だが、それよりなにより、肝心要の補任先である「斑目」という地名自体が、出羽国に見つからない事が大きい。「斑目の地頭に任命する」と文書に書いてあるにもかかわらず、その土地が幻であるとなれば、「橘元長」の存在の有無以前の問題となる。以前から、研究者が「斑目という地名が秋田にあるはずだ」と主張すれば、別の研究者が「実際には、ないのだから仕方ない」と反論してきた。薩摩町郷土誌の編者が三十余年前、「出羽国斑目」の所在について確認するため、秋田・山形両県の県立図書館に照会したところ、いずれも「当館の郷土資料を調査したが、県内で斑目という地名は確認できない」との回答だったと、同書に記してある。文雄氏も日本中の地名を探しつくし、その結果として、相模国(神奈川県)の一ヶ所しかないと結論付けた。これだけの経過があるため、当方も「斑目」の地名は神奈川県にあるだけで、秋田県にはないものと漠然と思い込んでいた。だが、力曠さんは違った。

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