『薩摩斑目家』の歴史
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56出羽国に「斑目」という地名が存在することは、確認できた。となれば、「斑目」という領地を治めた地頭「橘元長」という「薩摩斑目家」の先祖が実在した可能性は、高くなるのではないか―。(栗林文夫氏)「文書に書かれた地名が出てきたとすると、従来より可能性がちょっと高まったかなという感じです。やはり建永元年に斑目郷の地頭職をもらったことで、橘氏が斑目を名乗り始めたと理解する方が通常ですから。この文書を見ると、出羽国に斑目と呼ばれる、ちょっと大きな地域があると読めます。たぶん郷といった単位でしょうが、斑目郷の住人らに対し、橘元長という人物を地頭職に補任するよという書き方になっている。こうした地頭職任命の文書を出せるのは、鎌倉の将軍しかいません。元長本人がこれを将軍からもらって、自分が地頭だということの根拠にするわけです」(佐藤真人氏)「ほう、確かにあったんですね。沢というのは別に関係ないんで、とにかく班目という地名が付いていれば、それが字名とか小字名で見つかれば、それで十分使

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