『薩摩斑目家』の歴史
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57参★祁答院の斑目家えます。やっぱり、あるんですねえ。秋田にあるということが、こっちじゃあ確認できないで、研究がそこで止まっていましたから。そこが斑目氏の名字の地という可能性が高くなったとまでは、一応言えるんじゃないでしょうか。もともと橘元長と名乗っていた住人が、ここの地頭職に任命され、斑目元長とか、そういう名前を名乗っていく可能性はありますね。一般的な地頭の名乗り方の変化と合致しますので、考えられるパターンです。いずれにしろ、断定するためには、これから周辺の古文書とか石造物とか残されているものをいろいろと調べる必要があるでしょうね」☆「のち、あらたむ、もとなが」「班目沢」の地名が見つかってから、さらに小一カ月後。再び鹿児島に出張取材に行き、「斑目家文書」研究の権威である五味克夫・鹿児島大学名誉教授に会った。卒寿目前のいまも週二、三回、県立図書館内の調査史料室に来て、鹿児島の歴史編纂の仕事を手伝っている。その部屋を訪ねて、挨拶し終えた途端、五味氏は開口一番に言った。「いやあ、あなたからの手紙に刺激されて、家にある斑目家関係の資料を久しぶりに整

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