『薩摩斑目家』の歴史
66/189

64思いを、こう書いていた。「(前九年の役以降の)このような大変動の中で吉美侯武忠斑目四郎の子孫らしき者の活躍は全く見られない。忽然と歴史の彼方へ消え去った如くである。しかし鹿児島斑目氏の持っていた文書に斑目氏が出羽の地頭であったとしているのを見れば出羽のどこかに住んでいたとも見られる」歴史にロマンを求めるとしたら、それは主観の中にこそ生まれるものだ。先祖の歴史を見つめ、今の世を生きる糧とする子孫にとっては、なおさらのことだろう。「班目沢」の地名を見つけたあと、秋田市教育委員会の郷土史担当部署に幾つかの問い合わせをしてみた。そうすると、以下のような回答があった。① 秋田市太平目長崎の「班目沢」について―「地元では『マタザ』(マダラメサワを縮めて)と呼んでいるそうです。秋田市民全員

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer9以上が必要です