『薩摩斑目家』の歴史
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76一般観光客に北薩の歴史を説明する役も担当している。門外漢の人々に遠い時代の機微を理解してもらうには、学術的な説明だけでは難しく、あえて個人的な思いを交えたロマンとして語ってみせているという。で、結局、その泰基はいつ祁答院に来たのか。あるいはそれとも、最初から祁答院で生まれ育ったのか。(佐藤真人氏)「史料がないので、どっちも考えられますよね。渋谷一族としてはすでに薩摩に来ていたのだから、こっちで生まれ育ったかもしれない。しかし、可能性として、鎌倉の渋谷本家の方にいたんじゃないですかね。この渋谷氏の初代、二代の段階というのは、大前氏の抵抗も非常なるものがあっただろうし、渋谷一族の所領経営がまだ安定していないころですから」(栗林文夫氏)「渋谷家は宝治合戦のあと、1250何年かに皆こっちに下ってきます。その時点ですでに斑目の人間が当地にいたという史料が出てくればいいんですけど。泰基
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