『薩摩斑目家』の歴史
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83参★祁答院の斑目家☆訴訟と着到その泰基と渋谷家が激しく衝突し、訴訟沙汰となっている。「斑目家文書」の「蓮性陳状案」という文書が、両者の争論を伝えている。徳治二年(1307年)の文書で1000字余りがつづられ、全文書の中でも圧倒的な長文となっている。泰基が養子に入って得た、一分地頭の権力を渋谷家に戻すか戻さないか、譲渡した土地を戻せとか戻さないとか。そういったやり取りが「観聖」と「蓮性」の応酬の形で記録されている。訴えたのが「観聖」、訴えられたのが「蓮性」。この文書は、一枚目が欠落していることもあって、極めて読解しにくい文になっている。五味克夫・鹿児島大学名誉教授の解説がなければ、お手上げもいいところだ。そもそも「観聖」と「蓮性」が誰であるかさえ判然としない。最高権威の五味氏でさえが「その何人なるかを明らかにすることは必ずしも容易ではない。同状に登場する数人の人名やその相互関係などからみ、また法名そのものか

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