『薩摩斑目家』の歴史
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85参★祁答院の斑目家明らかではない。しかし文書相伝の事情からみて蓮性側、即ち斑目氏が祁答院渋谷氏より譲与されたとする所領の確保に努めたことは推測できる。︙︙しかし(観聖の側が)その後祁答院領内に所領を有したとする史料はなく、結局は蓮性即ち聖蓮、斑目氏の領知が認められたとする方が妥当のように思える」それにしても、「斑目家文書」には訴訟や譲渡など、土地関連の文書が多い。家系図は別として、文書の半数近くが土地をめぐるものである。このことは、当時、土地の重要性が現代の比ではなく、その争いについて、後世への証拠として残すために文書化し、後生大事に継承してきたことを示す。特に、「蓮性陳状案」がその例となるが、土地譲渡の証拠となる「行蓮譲状案」という証文が残してあっても、紛争にいたっている。この当時、土地の「譲渡」という概念自体が曖昧というか混乱しているため、それが紛争の誘因になってしまう。(佐藤真人氏)「永代譲渡の場合はちゃんと永代と書くんですが、そうじゃない場合は
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