『薩摩斑目家』の歴史
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93四★鹿児島国際大学短期大学部名誉教授・三木靖氏インタビュー ―あの時代、戦で活躍した武将だからといって、栄耀栄華が保証されるなんてことはない。人も家も、何もかもが安定することなく、時代の波に流される?三木 典型的なのは、古代の集落ですかねえ。一時代によく知られた集落であっても、歴史の経過の中であっという間に、丸ごと消えてしまうという例がいくらでもある。人がいっぱい住んでいたって言われていても、今はもう荒地というところが幾らでもある。古代や中世というのは、それが不思議じゃない状況がずっと続いていたんですよ。力を持った氏族でも、伝染病のために一族が絶え、突然消えてしまうことだってある。 ―「吾妻鏡」に政所衆として登場する橘以広、問註所衆として登場する橘惟広。この鎌倉幕府の高官である父子は、斑目家文書の系図で、「薩摩斑目家」の始祖として位置づけられています。この通り、信じていいんでしょうか。三木 はい、いいんじゃないですか。薩摩の地頭系の家で、出発点になった人について

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