『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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99第5章 橘諸兄、逸勢そして嘉智子皇后兄の墳墓の地。現在は平らに10メートル四方程度が整地され、高さ約3メートルの顕彰石碑と長方柱の供養塔が立つ。付近一帯は飛鳥時代から奈良時代にかけての古墳域で、『北王塚』と呼ばれている。近代以降、孟宗竹の栽培が盛んになって、墳墓自体は破壊され確認できない。「井手の左大臣」とまで尊称された人物の『旧跡』が、なぜ人の目から隠れた場所にあるのか。竹林が縁取る静謐な空間が神秘的な雰囲気をかもしている。山麓の道をしばらく戻り、玉水駅につながる道へ左折することなく、そのまま道なりに奥へと進み『玉津岡神社』を目*「橘氏のふるさと」と言われる京都府井手町の竹林に立つ橘諸兄公墓。
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