『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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102前に皇族の美努王との間にできた子。並び立つ二人は、異父同母の兄妹でもあった。◇諸兄に始まる橘氏の権勢は奈良麻呂の乱の失敗で逼塞したが、それを再興したのが嘉智子である。奈良麻呂の孫で、比類なき美人といわれ、嵯峨天皇の妻となった。仁明天皇、正子内親王(淳和天皇皇后)のほか二男五女をもうけ、橘氏の子弟教育のために大学別曹「学館院」を設立。仏教への信仰心が篤く、嵯峨野に日本初の禅院『檀だんりん林寺じ』を創建し、「檀林皇后」と呼ばれた。嵯峨天皇と嘉智子皇后が暮らした嵯峨離宮を9世紀後半に寺院に改めたのが、真言宗大覚寺派の大本山『大覚寺』である。もともと僧侶である斑目力曠さんは、奇しくも大覚寺の大僧正を務めており、1200年の時を超えた不思議な縁というべきか。広い境内の一角には力曠さんが昭和33年に寄進した朱色鮮やかな霊明殿が静かに佇んでいる。
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