『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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107第5章 橘諸兄、逸勢そして嘉智子皇后怒りを刷いたことで、いっそう凄絶さを増した従妹の眸から、逸勢はまぶしげに目をそらした。「桓武のお子はお子だが、神野王子は冷やめし食いの次男坊にすぎない。次期の帝位は兄ぎみの安殿皇太子に譲られるものと、はっきり今から決まっている。身分こそ臣下の娘――それも近ごろ、一向に振わない橘氏の一族ではあるけれど、あんたほどの才気と美貌の持ちぬしなら、帝王の寵姫に配されたってふしぎはないのだ。なぜ安殿太子ではなくて、神野王子と結ばれることになってしまったのか……そこが残念でならないのだよ」「おっしゃりたかった本音は、それね」相手の言いざまに劣らぬ嘲りを、せいいっぱい籠めたつもりなのに、「察しがいいな」いささかも痛痒を感じない顔で、逸勢は厚かましくうなずいて見せた。「あんたみたいな出来のよい娘は、一族の宝だ。いや、端的に言えば貴重な手駒だよ。いかな名人でも、持ち駒が悪くては将棋に勝てない。血族門葉を、官界に浮上させてもらうためにも、あんたをむざむざ冷やめし食いの閨房になど送り込みたくはなかったなあ」「あなたがた親類縁者を、出世させるためにわたしは結婚するのではないわ」――
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