『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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115第6章 宝賀寿男氏インタビューの系統は、孫娘が平惟これひら衡の妻になって子供たちを生む一方で、また別の形に発展しています。吉弥侯は吉弥侯でもまた別の「公侯」という字を使って、この「公侯延高」ですね、これも一族なんです。要するに、「村野」という人の子供が後になって賀茂という名字を名乗っているんですよ。――宝賀さんが『古代氏族系譜集成』を発表して以来、すでに30年近いですね。今でも『吉弥侯部氏系図』にこれほどの書き足しを続けているのは、吉弥侯部氏に特に関心があるということですか?いや、そういうわけではない。本を作って、その内容に関係するやつは、論文でも系図でもぜんぶ気に留めている。それで再考の余地があったり、あるいは書き加える必要があると思った分について、必ず書き込んできています。――この鉛筆で書き足した子孫たちの名前は、どこからの情報ですか。

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