『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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10斑目家の歴史の場合は、縷々述べたように「巧遅」の解決に期待することはできない。斑目四郎の歴史が史料によって実証的に解き明かされる可能性は、現状では限りなくゼロに近い。そうである以上は、「拙速」の解決の道を進むしかないだろう。系図が玉石混交の危うさを抱えていても、そこから合理的に導き出される結論が現時点で最大限の説得力を持ちうるならば、それでよしとするべきだろう――。一昨年の取材はそれなりに大変だったとはいえ、薩摩斑目家に伝わる『斑目家文書』と出水麓の変遷記録である『軍ぐんえき役高たかちょう帳』に忠実に、その内容をつぶさに読み解く作業を基本線とすればよかった。あくまで薩摩斑目家の鹿児島県下での歴史を調べるのが中心だったからだ。結果として、最も大きいニュース・ネタとなった「秋田市東部の班目沢」の発見は、たまたまの僥倖だった。しかし、今回はオール斑目家の歴史をゼロから全方位に洗い直すものとなる。

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