『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
122/356
120功皇后でも武内宿禰でも、みな存在が否定されているけれども、あれは単に本人の情報だけを取り上げておかしいと言っているにすぎない。というのは、神武天皇と一緒に行動した連中のちょうど五世代後の連中が、崇神天皇と一緒の時代に活動していて、さらにその三、四代後の連中が応神天皇の時代に活動している。一つの種族だけじゃなくて、多くの種族でそういうのが一致してきているんです。それぞれがてんでんばらばらに勝手に出来事を伝えて来ているのに、全部一致しているわけです。それらとの整合性をすべて後世に作り出すというのは無理であることを考えれば、どういうことが言えるかということです。この『吉弥侯部氏系図』も、これに出ていない一族が平家の郎党なんかの系図に出て来て、名前としてつながるし、これにつながりそうなのが他の系図にも残っている。さっき言った「公侯延高」とかその辺の問題も、『古代氏族系譜集成』の賀茂氏の系図の方にちゃんと出てきますからね。――単に目の前の系図の範囲で整合性が取れるだけでなく、そこに書いてない他の系図や文書とも整合性が取れるかどうか。目の前の系図だけを捏造しようとしても、そういう目に見えないところとの関係で、整合性の高い壁が横たわっているということですか。
元のページ