『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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140す」。後世の子孫が先祖を天皇や貴族に結び付けようとする典型的なパターンということ。捏造と騒ぐほどのものではなく、多くの系図に一つの様式のようにして見られる、ほんのお定まりのものにすぎない。むしろ、系図の世界で胸を反らせたがる子孫の気負いがどことなくほほえましくさえある。「橘遠保」と「直則」の間にはさまれた8人のうち「安基」には「斑目郡司」、「則基」には「相州江島郡」と添え書きがあるが、「斑目郡」も「相州江島郡」も実際には存在しないもの。後世にこの系図を作った人物が、往時の歴史を知らないまま書いてしまったと思われる。「安基」は「因幡守」、「義基」は「能登守」、「則基」は「信濃守」など、地方行政トップの官職名が乱発気味に添書きされてもいて、かなりの脚色を感じさせる。さらに、「白川斑目家の祖」である「直則」と以下七代までの人物は、この系図に名前があるだけで、他の文書にはいっさい出てこない。添書きには活躍ぶりが詳しく綴られてはいるが、やや怪しい記述が含まれてもいる。このため、これらの先祖たちは果たして実在の人物か? との疑問を持たれている。

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