『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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144場と斑目家の立場は違うということである。歴史学は科学的な方法論によって、歴史の「真実」を追求する学問だ。科学である以上は物証、根拠を厳しく求めざるをえない。その実証的な方法にかなわないものについては、否定あるいは「分からない」と言わざるをえない。「分からない」まま、どんなに年月が経過しようとも、根拠なき「真実」を作ることなどできないという立場だ。だが、斑目家にとっての「真実」は、歴史学が求める「真実」とは違う。歴史学によって「真実」ではないと実証的に否定されるものは、むろん斑目家の「真実」からも排除せざるをえないだろう。しかし『白河斑目氏系図』の「直則」以下の流れについて、歴史学は「真実ではない」と言っているのではない。証拠がないから、足りないから、実証的には何とも言えない、だから「分からない」と言っているだけなのだ。歴史学が「分からない」と言ったからといって、それは事実上「真実ではない」ということを意味するわけでもない。いまの歴史学といえども、把握している史料は日本史の無
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