『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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145第7章 疑わしきは「家伝」の利益に限の闇に比べればごく一部に限られており、「分からない」ことの方が圧倒的に多いはずなのだ。ならば、その歴史学からの「分からない」との評価を、斑目家としてどう受け止めるべきか。問題はそこにある。斑目家には「先祖は斑目四郎」という、一族が長い歴史を通じて受け入れてきた家伝が存在している。そんな家伝を、歴史学の判断保留を理由に否定してしまうとすれば、あまりにも馬鹿げたことである。歴史の闇の領域に対しては、先祖たちがそうしたように、一族の運命共同の連帯感をもって家伝を信じていくのが、子孫として最も妥当な生き様ではないだろうか。だいいち、「斑目」の名字は極めて希少なものであり、それはかつての領地の地名から取ったものにまず間違いない。そして、その領地は斑目四郎の支配地だったと見られる、秋田県北部の「斑目郷」である蓋然性が高いのだ。

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