『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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146ならば、常識で考えて、斑目家の先祖は斑目四郎であると信じる理由は十分にあり、そう思うことが最も自然なのだ。「史料がなく、なんとも言えない」という状況にあっては、歴史学よりも日常の生活者としての常識に重きを置くべきではないか。それゆえに、結論は③の「東日本斑目家の系統は家伝通り、斑目四郎の子孫であると見るのが最も妥当である」となる。一つ余談を加えると、『諸系譜』第14巻には、斑目四郎の先祖を約250年遡る『吉弥侯部氏系図』があるのだが(詳細は第9、10章)、その直ぐ後ろに「斑目越後守――信乃守則常――十郎廣基・越中」と、白河斑目氏の短い系図がメモのように書かれている。二つの系図の関係は分からないが、その位置関係からして、あたかも中田憲信が「この白河斑目氏が斑目四郎の子孫である」と主張しているかのような置き方である。
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