『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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147第7章 疑わしきは「家伝」の利益に◇次に、④の「東日本斑目家も橘広房の子孫である可能性がある」とは、どういうことなのか。東日本斑目家も薩摩斑目家と同じく橘姓を代々名乗って来たことは間違いない。『白河斑目氏系図』の冒頭に「橘氏之流裔」との記述があり、例えば福島県白河市の鹿王山最勝寺にある銅鐘(天文十三年鋳造)には「奉行 橘朝臣斑目十郎広基」と刻印されている。その東日本斑目家と京下り官人である橘以広・惟広の系統とのつながりについては、前出の森幸夫氏は、こう言って否定していた。「白河斑目氏が京下り官人の系統だとしたら、源頼朝の御家人となるわけだから、御家人として同格となる結城家に仕えるなどということはありえない」
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