『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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151第7章 疑わしきは「家伝」の利益に京都橘氏の系統の惟秀は『橘姓斑目氏系図(増補版)』で世代計算をしてみると、13世紀末から14世紀半ばぐらいを生きたと見られる。一方で、実は白河斑目氏の歴史の中でも「斑目惟秀」という武士がくっきりと足跡を残していることが分かった。白河斑目側の幾つかの文書の中に「斑目惟秀」の名を見ることができるのだ。① 興国二年(1341年)の北きたばたけ畠親ちかふさ房による『結城親朝宛御教書』② 康永二年(1343年)の『結ゆうき城親ちかとも朝注進状案』③ 応安三年(1370年)の『二所熊野陸奥国白河荘檀那名簿』この白河斑目氏の「斑目惟秀」と京都橘氏の「斑目惟秀」とは同一人物であるかどうか。
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