『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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157第7章 疑わしきは「家伝」の利益に二人の惟秀が生きた時代が完全に重なるかどうかが微妙でもあり、「斑目惟秀」と名乗る人物が他に絶対にいないとは言い切れないからだ。このため、東日本斑目家も京都橘氏の系統かと問うならば、考えられる答えは「なんとも言えない」ということになるだろう。他方で、先述したように斑目家にとっては、惟秀以前の「直則」「広顕」「直義」「清武」たちの実在性は、実証的に証明できないからといって、決して否定されるべきものではない。歴史学が現在把握している史料自体が極く限られた範囲のものにすぎないのだ。歴史学が「なんとも言えない」と判断を保留するのはやむを得ないにしても、それによって「直則」「広顕」「直義」「清武」らの存在が否定されるものでは全くない。ならば、やはり白河斑目氏の子孫の立場からは『白河斑目氏系図』の伝承を信じるべきではないのか。
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