『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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164最後に、③④⑤のいずれの立場からであれ、須賀川市『白河斑目氏系図』で注目すべき二つの点について言及しておく。系図に居並ぶ先祖たちの名を見ると、「基」の字の使用の多さと「信濃守」の名乗りの多さが目立つのである。始祖「直則」以下の男34人を対象として見てみよう。そのうち「基」の字の付く名は12人を数えて突出して多く、一族の通字に近い状況となっている。惟秀の祖父で薩摩斑目家の始祖である「惟基」との関連が自ずと連想されるのではないだろうか。「信濃守」については、国司の「守」を名乗っているのが21人。そのうち「信濃守」が則基、(四代後の)則基、保基、道基、則常、直基、広基の7人。次に多いのは「越後守」が直則、道則、勝家の3人、同じく「下野守」も広顕、常基、量吉の3人、続いて「安芸守」が憲基、直基の2人、同じく「能登守」が義基、良基の2人。あとは「因幡守」「但馬守」「伊豆守」「越中守」が1人ずつとなっている。

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