『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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168イメージが、惟秀にはあります。――さらに、惟秀は同時に北畠親房にも家来として仕えることになる。家来と言った場合に、みなさんが考えるのは恐らく近世の家老や武士といったイメージでしょうが、中世の家来はそこまではっきりイメージできない、極めて流動的な関係です。近世と中世では、武士団の結合原理というか、家来から見た主人観が大きく違う。近世の場合は藩イコールお家であり、お家を束ねるのが藩主なので、逆らうという選択肢がない。だけど、中世はそうじゃない。中世の家来にとって主人の条件は、自分にとってプラスになるかどうか。自分にとって頼りになるかどうかです。だから、中世は二人以上の主人を持つということが十分ありえます。――この『結城親朝宛御教書』に「「斑目式しきぶだゆう部大夫惟秀、権守を望み申し候。本領を帯ぶるの上、直の奉公を免ぜらるるの上、今においては子細無く候か。よって今度免許の御判を遣わされ候なり。いよいよ忠をいたすべきの由、仰せらるべく候」」と書いてありま

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