『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
174/356
172――その種の歴史の現実というものの綾が、私のようなド素人では分からない。繰り返しますが、宝治合戦の時の惟基への「領地没収」という処分は、ほどほどの程度で済んでいる可能性が十分にあるわけですか。あります。惟基が移った鹿児島の祁答院家がありますよね。渋谷一族ですね。渋谷氏も鎌倉時代の初期に起きた和田合戦(1213年)で渋谷荘を失っているんです。でも、渋谷荘内の屋敷や田畑はちゃんと残っていて、領地として持ち続けているんです。――その辺のあいまいさというか、中途半端さは何なんですかね。ある程度で収めないと敗者の反撃なり、周囲の反発なりが極端化して、事が収まらないといった計算なんですかね。ちょっと分からないですね。たとえば、その時代の合戦の規模自体が戦国時代の末期とは全く違いますからね。戦国時代の末期なんてのは本当に数万単位で戦いますが、当時の
元のページ