『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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176したね。地頭代ということは、惟秀がかなり重職にいたということを意味するんですか。うーん、そこははっきりとは言えない。まだ家臣団の階層がきれいに分かれるような段階ではありませんので。地頭に代わって荘園や公領の経営をやる実力があれば代官になれますから、比叡山のお坊さんや商人でもなりえます。極論ではなく、実例としてあります。地頭が高利貸しに借金をして、その借金を何で返すかというと、地頭得とくぶん分、つまり収益で返す。じゃあ代官になってよという場合が実際にありますので。――これまで白河斑目氏の「斑目惟秀」という人物の話をお聞きしたわけですが、実は薩摩斑目家の方にも「斑目惟秀」という人物がいます。五味克夫さん(鹿児島大学名誉教授)から頂戴した『橘姓斑目氏系図(増補版)』に、惟基の孫として「惟秀」という名が出て来ます。この二人は同一人物でしょうか?薩摩の系図の「斑目惟秀」と白河斑目氏の「斑目惟秀」と、時代的にはおおむね合っていると思いますが、同族で同じ名前を名乗る例が皆無ではありません。当時は今と違って
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