『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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177第8章 清水亮氏インタビュー実名をほとんど名乗りませんし、実名を知らないまま通称で呼び合うのが普通です。この二つの「惟秀」が同時代の人間である可能性は高いと思うんですが、同一人物であると確定まではできないと思います。――薩摩の「惟秀」の高祖父となる橘以広は京下りの文人ですよね。京育ちで文筆を生業とする系統が、四代あとに刀を振り回す武人になれますでしょうか。あります。それは十分、ありえます。全員じゃないですけど、あります。――文人の血筋の者が、どうやって武人化していくんですか。言ってみれば個人の努力ですかね。鎌倉幕府の文官の代表である大江広元の息子で毛利季光という人物がいます。この季光は文官としても武官としても認められ、最後は宝治合戦で死んでいます。一代でそのぐらいになっちゃった人の場合には、個人の努力で武人として認められるだけの力を持つに至ったんだろうと思います。文官も武士も鎌倉殿の家来
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