『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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180が出て来ない限り、系譜関係まではなかなか言えません。でも今回、惟秀の名が出て来る系図があると聞いて、僕も驚いたんですよ。白河斑目氏の惟秀はといえば、この系図の惟秀が今のところは最有力候補だと思います(笑)。中世前期において南九州の斑目、奥州の斑目と一応分けることはできるかもしれないけれども、交流があった可能性がないわけではない。――白河斑目氏の惟秀は、あちこちを広域に動き回っていたようですね。結城宗広の所領の代官として駿河国にいて、宗広の所領をめぐる争いのため京都の建武政権の裁判所に足を運んでいる。さらに奥羽の白河荘だけでなく、自分の所領がある出羽国にも行っているでしょう。だから、西日本には
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