『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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185第8章 清水亮氏インタビュー――その辺について、東北学院大学の七海雅人教授が面白いことを言っています。鎌倉幕府というのは「御家人の郎党は御殿の中に入るな、庭で待っていろ」とする一方で、でも「陸奥国の郎党だけはどこそこまではいい」みたいな世界があったと。それは奥羽の現地武士は地頭にはなれないけど、武家社会の中では実は格式が高いんじゃないかという推測をしているわけです。奥羽には実は、奥州藤原氏と敵対した者もけっこういたので、彼らは早めに頼朝側に付いた。そういう人たちは地頭というか、御家人としての地位を持つことができた。一方、*奥州藤原氏の平泉時代の栄華をいまに伝える中尊寺。その政権誕生の 闇の中で斑目四郎と吉彦秀武の歴史が消失している――。
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