『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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187第8章 清水亮氏インタビュー事後承諾で地頭になった。ただ、支配の実態は自分でちゃんと作り出さないといけない。だから現地の人たちから、いやアあの人の支配は認められませんと言われちゃったりすると、地頭職を没収されることがあるわけです。つまり、占領して地頭になっても、維持できるかどうかは現地の人とうまくやれるかどうかにかかっている。――斑目郷を含む秋田北部の総地頭として、橘公業という源頼朝の側近がいましたよね。斑目郷をめぐって斑目一族と深い関わりがあったと思われる人物です。この橘公業の総地頭就任について、遠藤巌さん(宮城教育大名誉教授)が興味深い見方をされています。頼朝は、なぜ公業を総地頭に大抜擢したか。それは鎌倉軍が秋田北部を制圧した時点で、地元の橘氏たちが秋田城の在庁官人として勢力を持っていたから。だから、そこの橘氏の勢力を戦後統治にうまく活用していくために、同じ橘姓を持つ公業、お前が総地頭になって入って行け。そう判断したのでしょうと、遠藤さんはおっしゃっています。その可能性は高いと思います。岩田慎平(立命館大学講師)という方が論文で書いています。橘という家は幾つかに分流し、平安時代の末期から国司の郎党、傭兵、文筆官僚み
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