『橘姓斑目家の歴史 古代・中世編』
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204は、武衡・家衡の居所は旧和賀郡江釣子村―いま北上市―の新にっぺい平遺跡と目される「磐基」郷)。清衡は江刺郡です。こうして消去法でつぶしていけば、例えばですが稗ひえぬき貫郡、紫しわ波郡、岩手郡(奥六郡側では)、雄お勝がち郡(山せんぽく北三郡側では)などのどこかということになります。武忠の名前が残らなかったのは、50歳代ぐらいで早世したということなのかもしれません。②→最近、出羽の清原氏の本物の系図が、国会図書館から出てきました。古代東北史研究の発展に寄与する大発見だと思っています。今月末刊行予定の拙論で紹介します。ついでに、吉彦秀武の系図も出てきました。テキストクリティークをしてみましたが、どちらもかなり信憑性の高いものです。

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